ごりらを目指して。

おしゃべりの練習。

三国恋戦記魁、今更ながら感想。

 

今更ながら、8月末に発売された三国志のダークヒーロー(悪役たち?)を攻略できる乙女ゲーム「三国恋戦記魁」の感想をつらつらと書いていきたい。

ゲーム自体は8月中にコンプリートしているので大分うろ覚えである。

 

この作品は2010年に発売され、好評を博した「三国恋戦記~オトメの兵法~」の第二弾にして設定された舞台は前作より時代を遡っているというものだ。

私は、前作が発売された当時はまだ中学生でありパソコンを自由に使える状態ではなかったため、遅ればせながら2年ほど前に前作をプレイした。

 

さて、今作のネット上での前評判はストーリー等が評判となり人気作となった前作の続きということでかなり期待の高かったものであったように思う。度重なる発売延期や攻略キャラクター数の減少なども、前作への信頼からかいずれも好意的に受け止められていたのではないだろうか。

 

が、翻って発売後。不満が噴出する。

どれほど素晴らしい作品でも万人に100点満点の作品として受け入れられるわけではない。しかし、それにしてはこの「魁」への裏切られた感は拭い去りがたかったようだ。三国恋戦記ファンとしてひよっこの私ですら、形容しがたい哀しみを感じたのだから長年のファンにとっては尚更だろう。

不満を抱いたユーザーの意見として、「主人公が何もしていない」、「ストーリー展開の無理やりさ、短さ、理不尽さ」などが挙げられるだろう。

個人的に最初に思ったのが、とにかく「恋愛」させようとしたためにストーリー、キャラクターに無理が生じて違和感がものすごいという印象である。

主人公が接する人物たちは、恋愛対象である以前に乱世を駆け抜けた強者たちだ。これがハッピーハイスクールライフ☆みたいなお話ならよかったのだろうが、いかんせんバッチリ歴史に名を残している有名人たちばかりだ。

恋愛相手としてのあまーい顔を見せつつ、歴史をつくる英傑(この作品に関しては悪役も含まれているが)としての顔も描く。こういう歴史モノには特にこの二つのバランスが求められるのだろう。

聞けば、前作で恋愛過程をもっと描いてほしいとの要望が出ていたのだとか。これを意識しすぎたあまり、英傑としての顔を掘り下げる作業がおろそかになったようにしか思えない。

前作は、攻略キャラクターの人生観や性質を掘り下げ、各々のストーリーに一貫した軸を感じられる作りとなっていた。公墐ならば「許す」、孟徳ならば「信頼」と一人一人の物語にタイトルまでつけられそうな勢いだと感じたくらい軸がしっかりしていた。

今作には、その軸が見られなかった。

一貫した軸の片鱗を感じさせたのは華佗ぐらいであろうか。「恋愛」に重きを置きすぎたために骨のない物語となり、骨のない物語となったから肝心の恋愛描写がしっくりこなかったというのがプレイヤーの不満の原因ではないだろうか。

 

あと感じたのは、公式が度々推していた「乱世の厳しさ」の表現が無茶すぎるという点であろうか。ちょっとした行動の差で主人公がすぐに妙な殺され方をされるのは「乱世の厳しさ」ではなく「理不尽」以外の何物でもない。背景まで丁寧に描かなければ暗めの話は一気に薄っぺらいものとなる。諸刃の剣だ。

他にも、安易にカタカナ語使い過ぎで雰囲気損なわれるのでは?とか同じ登場人物のシナリオ内でライター変わったのでは?と疑う位文体が変わったりだとか、安い夢小説のような文章の書き方になってひょえっ!?となったりだとか細かいもやもやはあるがおおむね感じたのは、無理に恋愛させようとしなくてもええで…というところなので割愛する。

 

以上、散々ぶーたれてはきたが、伯符が中原制覇諦めたり本初と主人公がただ静かに滅びに向かったり奉先が手を出しちゃった時に目を覆いたくなったぐらいで私はこの「三国恋戦記魁」というゲームをとても楽しくプレイさせていただいた。

 

ドロドロサツバツ後宮ものが好きなので、巴のほの暗さと覚悟が垣間見えた仲穎ルートはとても楽しかったし、退廃的な雰囲気とシナリオが仲穎によく合っていた。弓で奉先を救って潔く新天地に向かうスチルは空がとにかく高くきれいでお気に入りだ。本初ルートの最後の場面は、今までの鬱々とした雰囲気を吹き飛ばすほど美しく、儚く、ハープの美しいBGM「消えないもの」と相まってとても感動した。制作陣が意識したかどうかわからないし時代も下るが、2人と2羽が寄り添うさまは比翼の鳥、連理の枝そのものでじんわりと心に染み入るようなあたたかさがある。伯符の漢気と巴への初々しい態度は見ているこちらまで惚れ惚れするよう。華佗の脳みそのとろけそうな声は今でも度々再生してしまうし、2人で手を取り合って壁を乗り越えていく様は非常に好感が持てた。

巴も等身大の女子高生らしさを持っており、突然わけのわからないところに飛ばされたらどうなるか、を見事に体現してくれるため個人的には身近に感じやすかった。弓強いのはビビったけど。確か80メートル以上弓飛ばしてたよね?ゴリラじゃん…。

 

大学の専攻が日本史ということと「彩雲国物語」にドはまりしたことで「古代中国」という単語に弱い私にとってこの作品はとても大切な作品の1つだ。公式の雰囲気からして続編が出る可能性はどうも少なそうだが、BGMを流してまだまだこの作品の世界観に浸っていければと考えている。

探偵、スイカバー

今週のお題「好きなアイス」


去年の8月、私は毎日毎日スイカバーを食べていた。

一晩で箱アイスをすべて食べてしまえるぐらいアイスが好きな私だが、とりわけスイカバーはボリューム、しゃりしゃり感、嫌味のない甘みと私の好きなアイス黄金比を満たしまくっているため気に入っていたのだ。

ところが、そんなスイカバーライフを楽しんでいたある日、私は店頭から突如スイカバーが消えていることに気づく。コンビニやスーパーを10店舗ほど巡り、アイス仲間にスイカバーの所在を聞いたりしたが、有力な情報は得られなかった。

その当時1日2本のスイカバーを食べ、水分も糖分もこのアイスで補給していた私にとってこの状況は死活問題だった。

もしや売り上げが悪いのかとロッテの株主総会資料まで漁り、スイカバーの売り上げランキングを確認までした。いろいろ調べてスイカバーのロッテアイス内売り上げランキングはトップ3に入ると知り、私は一つの結論に達した。スイカバーは夏限定なのだ。思い返してみれば9月になった途端スイカバーは店から消え去った。唯一9月以降もスイカバー目撃証言があったのは大学生協である。

何か固定ルートがあるのか在庫が残っているのか(アイスに賞味期限という概念はない)何だかわからないが大学生協にだけはスイカバーが並び続けていた。


今年もスイカバーはしばらくしたら店頭から消え、いつの間にか復活しているのだろう。

ああいった爽やか系統のアイスは夏にだけ食べるという人も多いだろうが私はできるなら年中食べていたい。

アイスが好きな人はほっといても年中食べ続けるのだから、スイカバーのような定番アイスはぜひ年中並び続けてほしいというのが今の私の切なる願いだ。

出版社就活終了

就活がようやく終わった。

周りの友人たちから一か月以上遅れて、私はようやくこの苦行から解放された。

 

今年は「売り手市場」だという。

6月1日には企業から内定が出て人生最後の長い夏休みを満喫する。世間ではそのようなイメージが取りざたされていたようだ。

売り手市場だから何とかなる。私も周りの友人たちも半年前まではそう考えていた。

 

とんでもなかった。

同じ業種、規模の企業に出しても通ったり通らなかったりする摩訶不思議エントリーシート

何故か落ちる性格検査。

盛り上がったのにぬるっと落ちる面接。無言の時間が続いたにも関わらずするっと通る面接。

とにかくよくわからないの一言に尽きた。

かといって別に手をこまねいていたわけではなく、思い当たる原因をつぶして改善策を講じたりもしたが、それが本当に正しかったのかは今でもわからない。とにかくこの半年は、よくわからないものによくわからないまま追い詰められ続けたという記憶しかない。

 

就活前にたくさんの先輩たちに話を聞いたら皆一様に声を揃えて言った言葉がある。

最後は運だ、と。

そんなアホな、というか運なら準備する意味あるのか、とすら思ったがまさにその通りだった。

周りの友人たちを見ても、先輩を見ても、内定を得た会社とその人の雰囲気はそこはかとなく合っていて、そしてどこか納得できるものであることが多い。

結局のところ、必死に準備して真摯に選考を受けて合った会社に入るしかないのだろうが、自分ではそれがわからない。良いと思ったところと自分が合っていない可能性だって十分にあるのだ。

 

就職活動を始める前は、大学受験と似た手順を踏むのかなと何となく考えていた。

とにかく自分の足りない部分を埋めて点を上げる、そして優秀な人は名のある企業に行くといった具合だ。

試してみて、だめなら方法を変えて、改善してといったプロセスは確かに同じだった。

しかし、結果を獲得するまでの過程は遠く離れていた。

就活とは、一緒に働く仲間探しだ。

優秀だから全部受かるわけではない。そもそも優秀かどうかなんて仕事をやらせてみないとわからないし、その評価基準だって仕事の内容によって千差万別なのだ。

だから、気にすることはない。あなたが悪いわけではない、ただその会社に合っていなかっただけなんだよ、とこれまた就活アドバイザーの方たちは優しく慰めてくれる。

 

だが、そんな言葉は就活をしている当事者にとって何の役にも立たない。就活強者といっていくつもの会社から内定をポコポコもらう傑物もこの世には確かに存在するのだ。このことを知ってしまうと、何かものすごい基準があるのではないかとついつい勘ぐってしまう。

いわゆる就職偏差値の高い企業からいくつも内定を獲得する人が「何か」を持っていることは間違いない。

それは、海外留学だとか起業経験といったわかりやすい経歴だけではなく、もっと根源的な「何か」だ。

だが、私たちにそれはわからない。なんでこの人が、というような素敵な人が苦労したり、ドギツい性格(と私が思っている)の人があっさり決まっていたりするものなのだ。

基本的に、私たちはみっともない苦労話を語りたがらない。だから、どんな人がどんな努力をして就職活動を進めていったのかを正確に知る術はない。

 

この狂騒は、終わった途端一気に遠い過去となり、記憶は薄れていく。

現に私は、ここ1か月ほどほとんどうつのような状態で過ごし続け、ギロチンなら楽に死ねると思い詰め、挙句の果てには道端で号泣して警察のお兄さんに声をかけられるという醜態を5日前にさらしたが、今はどこまでも心が晴れ渡り、いそいそとスイーツバイキングを予約したりしている。

 

どんな人間でもこの苦行を終わらせることはできる。しかし、この就職活動の先に見えるのは自分の人生だ。

新卒で入った会社はその後の仕事人生を占う試金石になると私は考えている。だから、ストレスもたまるし、追い詰められもするのだろう。

就職活動中にこんな言葉をよく聞いた。

落ちた理由を教えてくれたら改善のしようもあるのに何もわからないからひたすらストレスが溜まる。

 

落ちた理由とは何なのだろうか。私も知りたくてたまらなかったが、面接時間内でこいついいな、と思ってもらえなかったことがすべてなのだろう。会社に利益をもたらしてくれそうで、かつ一緒に働くビジョンが見える。そう思わせるために、私たちは自分を客観視し、どういった未来を選びとるか決める。

 

私は、5月末に内定をいただいたので、正確にはこの罰ゲームみたいな時間を終わらせることはいつでもできた。

だが、落ち目の業界だとしてもどうしても文字で何かを伝える仕事をしたかった。

こんな真っ黒なゴキブリクルートスーツなんか一刻も早く捨て去りたかったし、就活を続けていると言ったときの周りの気遣うような視線も惨めでたまらなかった。就活を始める前に漠然と抱いていた、自分なら何とかなるという根拠のないバカげたプライドが粉々になって、それでもどうしても出版社に行きたくて転職サイトに登録し、毎日家で号泣しながら、必死に会社を調べて問い合わせた。

もうだめだと思い、大学の休学制度を調べ、親を説得する方法を考えはじめたところで志望業界から一気に内定が出た。

傍から見れば、たかが就活でそんな馬鹿なと思われるだろう。だが、先を見通す力も大局的な視点も持たない私には就職活動が本当に大切なものであるように思えたのだ。

 

喉元過ぎれば熱さ忘れるで、あと数日もすれば私はこの半年を「良き思ひ出」に昇華してしまうだろう。見上げるほど高く見えた壁も、超えてしまえばそこからさらに高い壁が表れる。私たちはそれをどんどん乗り越えて上を目指していかなければならないのだから当然だ。

 

人生で一番の挫折は何ですか、と面接で聞かれることがあった。

私は今だ、と答えた。第一志望は一次面接で落ちて、「惜しい」ところにすら到達できなかった。第二志望は一生懸命話したことを鼻で笑われた。優しい社員さんがたくさんいる企業に内定をいただいたけれど、自分が就活で一番大事にしたかった軸はくるみんマークでもお給料でもなくて「伝える」仕事であるかどうかだということを実感したからやっぱり諦められないと答えた。結局その会社からは内定をいただいた。半分涙目になりながら必死に訴えたことが良かったのだろうか。わからない。

 

就職活動なんて二度としたくない。一緒に出版業界を目指した優秀な友達でも選考ではぽろぽろ落ちるし就職留年する人だっている。説明会でお会いした社員の方が真剣に出版業界を目指していた仲間たちでも受かった確率は半分ぐらいだとおっしゃっていたことが忘れられない。その差はどこから生まれるのか聞いたら、準備の量だと返ってきた。

後輩たちにはできる努力は全部やって必死に準備して、それでも駄目な可能性が高いから覚悟を決めろと心の底から伝えたい。なぜなら、「何か」を持ち合わせた優秀な人たちが素晴らしい努力をしていくつも内定をかっさらう世界だから。

 

それでもあがき続ければ光明は見えるかもしれない。ぎりぎり4年生の就職活動期間内に終わらせることのできた私の苦労なぞたかが知れているだろうが、めぼしい会社に全部落ちてから調べなおし、第一志望と定めた会社に来春から私は入社する。

諦めなかったら何とかなるから頑張れという恐ろしい言葉を私は到底吐くことはできない。だが、諦めたらそこで終わってしまうこともまた事実だ。

後輩たちが自分の本当の気持ちと向き合いながら悔いのないようシュウカツを乗り越えてくれることを願ってやまない。